企業法務担当者のビジネスキャリア術

転職経験が豊富な企業法務担当者がライフログの一環として日々の出来事を記録しています。

【旅行】Sabosanの播磨漫遊記 2018 その1(姫路編)/黒田官兵衛ゆかりの地をたどる

7月に入ってから猛暑が続く日が続いているが、猛暑にもかかわらず、1泊2日で一人旅に出かけた。行き先は兵庫県西部の姫路と赤穂だ。というわけで、その旅行の様子を今回と次回の2回に分けて紹介したい。

 

1.一人旅の経緯

まず、今回の一人旅を思い立ったのは、現在NHK-BSで再放送している2014年大河ドラマアンコール「軍師官兵衛」を鑑賞したことだ。 ちょうど最新の放送回では、播磨で織田家と毛利家が地元の小大名や土豪を巻き込みながら勢力争いを繰り広げているところで、その舞台として姫路が登場していた。

黒田官兵衛といえば、播磨の小大名の家老職の息子として姫路城で生まれ、その後豊臣秀吉に仕えた天才軍師だ。その息子の黒田長政は「関ヶ原の戦い」で東軍について福岡藩52万国の初代藩主となるが、それらは官兵衛による土台作りの賜物といえ、実質的には福岡藩の藩祖は官兵衛といえる。

なお、軍師というと、自らの考えを表に出さないなにやら腹黒いイメージがあるかもしれないが、官兵衛自身は、出来る限り殺生は避ける性格で、生涯側室を持たなかったという人格的にも立派な人柄だったらしい。このように優れた知略と人格を合わせ持っているためか、数多い戦国武将の中でも、軍師官兵衛は人気が極めて高い(だからこそ、NHK大河ドラマの主人公になっているわけで)。

f:id:Sabosan8022:20201031230522p:plain

ちなみに、以前にも触れたとおり、企業法務担当者は、ある意味、軍師(企業参謀)的なポジションに近い。そのため、私自身は黒田官兵衛に対して同業種じみた(?)親近感を覚えており、思い入れがある戦国武将だ。従って、昨年、九州に行った際には、福岡に移る前に官兵衛の居城であった大分県の中津城も訪れている。 

2.世界文化遺産 国宝 姫路城

さて、出発当日は、朝早く自宅を出て、JR東海道線に乗車して大阪から姫路方面に向かう。姫路に到着したのは9時過ぎ。到着した後、駅近くのレンタサイクルで自転車を借りて北の姫路城に向かう。駅に降りた時点で城が見えており、迷うことなく15分ほどで到着する。

 

 付近は、すでに外国人観光客も姿もちらほらと見えて、時間が進むにつれて少しずつ人が多くなっていく。さすがに世界文化遺産だけあって、観光客の目当てのスポットはまずは姫路城のようだ。(当日は、日本人より外国人の数の方が圧倒的に多く、インバウンド需要を生身で実感した)

 

姫路城は、地上6階、地下1階という国内最大級の天守閣を備える。別名で「白鷺城」と名称があるように、壁一面が白漆喰で塗り固められている。平成21年から5年をかけて改修作業を行い、現在の姿に生まれ変わった。官兵衛はこの城で出生しているが、その当時は、現在の規模よりはるかに小さく、砦に毛が生えたようなものだったが、1580年に羽柴(木下)秀吉が中国方面軍の拠点とした際と1600年の「関ケ原の戦い」で池田輝政が播磨52万国を賜り、姫路城主となった後、次々と改修が加えられて、現在の大規模な形になっていった。

天守閣を見た後、周囲の西の丸や二の丸などを散策する。もっとも、猛暑であまりのんびりできなかったが・・・・。やはり広大なだけあって、全てを観光するだけでも2時間ほどかかってしまった。 

その後、時間が余ったので、近隣の美術館や博物館をいくつか回りつつ昼食を食べる。

3.若き官兵衛が青春時代を送った場所 御着城

しかし、それでも時間が余ってしまったので、駅前の観光案内所でもらった冊子をめくっていたところ、自転車で行ける距離にとある歴史名所を発見。それは姫路から東に4キロほど離れた場所にある御着(ごちゃく)城跡。

 

猛暑の中をペダルをこぎ続けるのは大変だったが、途中のコンビニやニトリで涼みつつ、無事に到着。かつて御着城の縄張があったこのあたりは住宅や学校が立ち並んでいるが、その一角には姫路市役所御着支所が建っている。面白いのが建物の形で、なんと小さいお城をモチーフにしている。明らかに御着城を意識しているのだろう。なかなかセンスがある支所だと思う。

御着城は、西播磨をおさめていた小寺政職(こでらまさもと)がおさめており、官兵衛の父親である黒田職隆が小寺家に仕えていた。官兵衛はこの御着城で家督を継ぐまで近習として仕えていたという。 

さすがに夕方になってきたので(また、非常に暑かったので)、そのまま自転車で姫路方面に戻って、ホテルにチェックインした。

旅行1日目はこのような感じ。翌日は赤穂浪士で有名な赤穂を訪れたが、それはまた次回に。