先日、千葉県のローカル鉄道である小湊鉄(こみなと)道といすみ鉄道を乗りついで、大多喜城を訪れたので、その様子を紹介したい。
まず、当日は、東京駅からJR総武線・内房線に1時間ほど乗って五井駅で降りて、小湊鉄道に乗り換える。車両は昭和レトロな雰囲気で、天井にはなんと扇風機がついている・・・。かなり古い車両を大事に使っているのだろう。
電車はコトコト走り、車窓にはのんびりした田園風景が広がる。いかにもローカル路線という感じ。途中の乗換駅である養老渓谷は、ちょっとした観光地らしく渓谷や温泉があるようだが、時間の関係でそこには立ち寄らず、1時間ほどで終点の上総中野(かずさなかの)駅に到着する。
そして、ここからは同じくローカル路線であるいすみ鉄道に乗り換える。1両編成だが、乗客もそれほど多くないため、座席に余裕がある。20分ほどで目的地の大多喜(おおたき)駅に到着する。
まず、駅前の観光協会で自転車をレンタルしてから西側に向かうと、小高い山の上のお城が見えてくる。こちらが大多喜城。中は博物館になっており、甲冑や火縄銃などが展示されている。お城自体が小高い山の上にあるためか天守からの眺めもなかなか悪くない。
戦国時代に房総半島は里見家や北条家が勢力争いを繰り広げていたが、最終的には豊臣家が北条家を滅ぼし、徳川家康が関東一円の支配を任される。その際に大多喜城を与えられたのが、徳川四天王である本多忠勝。その後、しばらくしてから本多家は国替えとなったが、その後も徳川譜代の有力家臣がこの地を治めた。
というわけで、本多家にゆかりのある場所のためか、町のあちこちに「本多忠勝・忠朝を大河ドラマに!」という旗のぼりが立っており、様々な誘致活動をしているらしい。
本多忠勝といえば、2016年の大河ドラマ「真田丸」でも藤岡弘が演じており、その娘が真田幸村の兄である真田真之の妻となるなど、重要な役回りをしていた。例えば、関ヶ原の戦いの結果、東軍が勝利し、真田昌幸・幸村親子は処刑されそうになるが、真之・忠勝が徳川家康に命乞いをした結果、かろうじて流罪にまで許される。しかし、それがなければ、「大阪の陣」における真田幸村の活躍はなく、歴史は少し変わっていたかもしれない(当然ながら「真田丸」というドラマも存在しなかったはず)。
このように、大多喜城を見物した後は、町内を自転車で散策してから、再びいすみ鉄道に乗車して大原駅に向かい、JRを乗り継いで帰阪したのであった。