企業法務担当者のビジネスキャリア術

氷河期世代の企業法務担当者がライフログとして日々の出来事を記録しています。2009年に開始したブログは16年目を迎えました。

【歴史】Sabosanの東北漫遊記2020 その3(白石編)/伊達政宗の名参謀 片倉小十郎が治めた城下町をめぐる

前回の続きで、東北編は今回で最終回。 

翌日に向かったのは、宮城県仙台市の南に位置する白石市。JR仙台駅から電車で一時間ほどで到着する。改札を出たところに片倉小十郎景綱をイメージした甲冑がお出迎え。 

そう、白石の有名人といえば、片倉小十郎景綱。戦国時代に伊達政宗に仕えた名参謀で、時の権力者である豊臣秀吉や徳川家康にも「国家の大器」と高く評価されたという。豊臣秀吉が1590年に北条家を討伐するために、小田原城を包囲した際、景綱は伊達家を守るために政宗を粘り強く説得して小田原参陣を決意させている。その後、江戸幕府の仙台藩として存続した伊達家の歴史を見れば、その判断は正しかったのは言うまでもない。 

その片倉小十郎景綱の息子である重長にも多くの逸話が流されている。大坂夏の陣では、政宗に従って伊達家の軍勢を率いて、豊臣家の真田信繁(幸村)と激闘を繰り広げた。その戦いの後、豊臣家の敗北を悟った信繁から子女を託されて、そのうちの一人は後に重長の後室になったという。本来ならば、徳川に遠慮してそのような申し出は断ってもおかしくないが、こういった男同士のエピソードは歴史ファンにとって胸アツものだ。

このようなエピソードを知っていたので、いつか片倉小十郎親子が治めた白石城を訪れたいと思っていた。

さて、JR白石駅から西に20分ほど歩くと、その白石城に到着。三層式のこじんまりとした平山城で、最上階の高欄に出ると、蔵王の山々が垣間見える。小十郎もこの風景を見ていたのだろうか・・・。 

白石城を巡った後は、近くの歴史博物館で御城印を購入する。

その後、JR白石駅まで戻ると、駅舎の陸橋からは寒々しいまでの山々の風景が垣間見える。こういった光景を見ると、東北に来たのだなあと感じる。