8月中旬に九州地方を中心に大雨が降り続いた旨がニュース番組で報道された。その番組で福岡県柳川市の様子も映し出されており、つい懐かしく感じる。というのも、私は2016年10月に福岡県柳川市を訪れたことがあるのだ。
というわけで、今回は、その当時の思い出を振り返ってみたい。
当時は、週末の金曜日に宿泊込みで福岡県の博多に出張しており、翌日は土曜日だった。そこで、せっかく福岡まで来たのだから、ゆっくり歴史観光をしてから大阪に帰ることにした。翌日は早朝7時ぐらいにホテルをチェックアウトして、博多駅のロッカーに荷物を預けてから移動開始。
1.福岡藩主黒田家墓所 崇福寺
まず訪れたのは博多駅から地下鉄で15分ほどで到着する崇福寺の黒田家墓所。この境内には福岡藩の藩主である黒田家の墓所が安置されている。
時間の関係で奥まで入ることはできず、あたりをぶらついただけだったが、ここに戦国時代の名軍師 黒田官兵衛が眠っていると思うと、歴史ファンの血が騒ぐ。
2.黒田家の居城 福岡城跡
1600年の関ケ原の戦いで、福岡藩52万石の領地を与えられた黒田長政(官兵衛の息子)は豊前(大分県)の中津から転封となる。そして、福岡城を整備したわけだが、現在はその石垣跡の一部しか残されていない。それでも当時の雰囲気を味わうことができるし、場所によっては、ちょっとした展望台になっており、博多の街並みを一望することができる。
3.光雲神社
そして、福岡城跡から北西に歩いて西公園にある光雲(てるも)神社に向かう。光雲神社には黒田官兵衛と長政が祀られており、辺りは静かな場所。
入口近くには、黒田家に仕えた武将(黒田二十四騎)の一人 母里太兵衛(ぼりたへえ)の銅像が設置されている。かつて、豊臣秀吉の子飼い武将の福島正則と酒の吞み比べをして、名槍「日本号」を勝ち取ったエピソードは有名。民謡「黒田節」のモデルにもなったとも言われている。
4.福岡市博物館
その後、地下鉄に乗って西に向かい、福岡市博物館を訪れる。
この博物館では、福岡にゆかりの文化財や歴史資料が展示されており、もちろん黒田家に関する資料も数多く紹介されている。それ以外にも見ごたえがあって2時間ばかり過ごした。
5.柳川市 立花家史料館
そして、旅のクライマックス。西鉄福岡天神駅まで戻って軽くランチを食べてから、西日本鉄道に乗車して熊本方面に移動し、西鉄柳川駅で下車。そのまま駅前で自転車をレンタルしてから駅の西側付近を散策した。
途中に柳川城跡に立ち寄ってから訪れたのは立花家史料館。江戸時代に柳川藩を治めていたのは、立花宗茂を藩祖とする立花家で、この立花宗茂は、私のお気に入りの戦国武将の一人。
立花宗茂は、戦国末期に活躍した武将で、同年代の真田幸村や伊達政宗ほど有名ではないが、歴史ファンならば知る人ぞ知るという人物。以下のとおり数多くのエピソードを持つ。
- 実父が大友家の重臣 高橋紹運、義父が立花道雪、妻は立花誾千代といういずれも錚々たる親族を有するサラブレッドファミリー。
- 1586年には大友家に敵対する島津家が九州全土をほぼ統一寸前の状況の中、主君の大友家を助けて豊臣秀吉の率いる軍勢が九州地方に入るまで立花山城で孤軍奮闘を続ける。その後、九州統一を果たした秀吉から「その忠義は鎮西(九州)一、その豪勇もまた鎮西一」と激賞されたという。その結果、柳川に13万石を与えられ、宗茂は大友家の一家臣から独立して、戦国大名に格上げとなる。当時の時代ではかなり異例のケース。
- 1600年の「関ヶ原の戦い」では、西軍の一員として参加していたが、前哨戦である大津城包囲戦に参加していたため、本戦には参加できなかった。もし、無敗の宗茂が本戦に参戦していれば、歴史が変わっていたとも言われる。
- 「関ヶ原の戦い」で西軍が敗北したため、宗茂は戦国大名から一浪人という身に落としたが、その武勇と忠義を惜しまれて、徳川家の旗本を経て、20年ぶりに旧領の柳川藩主として返り咲く。
- 江戸時代の初めに起きた「島原の乱」では、高齢ながら鎮圧に参加し、戦国の生き残りとして戦争経験のない若手をサポートしたという。その後、江戸で76歳で大往生をとげる。
このようにあまりにもドラマチックな逸話を有する立花宗茂は、武勇や忠義の面でも際立っている。私も大ファンで、歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」でも立花宗茂をよく選んでプレイしている。
従って、いつか機会があれば、立花宗茂にゆかりのある柳川市を訪れたいと思っていたが、予想より早くその機会が訪れたのは幸運だった。当時訪れた立花家史料館には宗茂が着用したという甲冑の実物(←本物!)も展示されており、宗茂ファンの私も大満足。これだけでもはるばる大阪から福岡県柳川市まで訪れた甲斐があるというもの。
立花家史料館自体は細長い構造で、それほど規模は大きなものではないが、いずれも歴史的に貴重な遺物を目にすることができたのは幸運だった。余談だが、地元ではこの立花宗茂や誾千代を描いたNHK大河ドラマを誘致するべく、招致活動を行っているらしい。確かに数多くのエピソードを持つ彼らならば、十分にその資格はあるだろうし、実現するならば、是非見てみたい。
6.まとめ
このように土曜日を丸一日費やして、早朝から夕方まで福岡県内で弾丸ツアーを行った私。疲れた体を引きずって博多駅まで戻ったのが、午後5時過ぎ。その後は、駅地下の飲食店街でもつ鍋を食べて、コインロッカーから荷物を回収して新幹線で帰阪した。 なんやかんやあって、新大阪に到着したのは午後9時過ぎ・・・。
その日は早朝から動きっぱなしでかなり疲れたが、黒田官兵衛・長政や立花宗茂というお気入りの戦国武将の足跡をたどる歴史散策を行うことができて、個人的には非常に有意義な体験となった。
もうかれこれ5年近く前の出来事だが、コロナ禍で旅行や出張ができない現在となっては、私にとって忘れられない貴重な思い出。