前回の続きで、関東旅行記(全3回)の最終回。
1.ローカル鉄道に乗って房総半島を横断
3日目のメインイベントは、千葉県の小湊鉄道といすみ鉄道に乗って房総半島を横断すうこと。
これは、鉄道ファンの息子からのリクエストによるもの。いすみ鉄道で運行されている旧国鉄のキハ28が11月いっぱいで運行を終了するので、それにどうしても乗りたいとの事。
ただ、キハ28の運行時刻は決まっている。もし、東京方面から移動する場合、11時52分に上総中野駅を出発する列車に乗車しなければならない。というわけで、旅行最終日は、私&息子と妻&娘の二組に別れて別行動することになった(妻と娘は渋谷にあるNintendo TOKYO オフィシャルストアを訪問)。その結果、私と息子は、ホテルの朝食をろくに食べずに、朝6時から出発して以下のスケジュールで動き回ることになった。とほほ・・・(泣)。
<1.JR>0618大宮→0652東京(途中、東京駅で下車して新幹線乗り場の近くにあるコインロッカーにキャリーケースを預ける)0735東京→0841五井<2.小湊鉄道>0852五井➝1012上総中野<3.いすみ鉄道>1152上総中野→1216大多喜(キハ28)1322大多喜→1354大原
というわけで、私と息子は、眠い目をこすりながら朝早くにホテルを出て、東京駅を経由して千葉県の五井駅に到着。
2.小湊鉄道に乗車
JR五井駅に到着した後、小湊鉄道の改札で房総横断記念乗車券(1730円)を購入。これ一枚で小湊鉄道といすみ鉄道に乗車することができる。
※左の切符が横断切符で、右側が上総中野で購入したキハ28に乗るための急行券。
JR五井駅は、小湊鉄道の乗り場が併設されており、スムーズに乗り換え可能。しばらく待つと列車が入線してきたので、乗車する。なお、途中駅の停車中にホームでは焼き芋が販売されていたので、朝食代わりに買って食べることに。
※ローカル鉄道で食べる焼き芋もなかなか悪くない。これも旅の思い出!?
小湊鉄道の終点は上総中野駅。ここで1時間40分待って、いすみ鉄道のキハ28の入線を待つことにする。
やはりキハ28引退は鉄道ファンにとって一大ニュースのようで、結構並んでいる人が2~30人ぐらいいただろうか。待っている間はヒマなので、あたりを散策したり、写真撮影をしたり・・・。
※奥に停車しているのはいすみ鉄道、手前が私たちが乗ってきた小湊鉄道の車両。
※上総中野の駅にあった鉄印帳のお知らせ。こんなところにもいらすとやが・・。
そして、ようやく待望のキハ28が入線したので、なんとか乗車する。やはり旧国鉄時代から走っているだけあって、かなり年季が入った車両だ。天井の扇風機が時代を感じる。まさしく年季が入った列車には違いない。息子もカメラでお目当ての車両を写真撮影。
上総中野駅からキハ28に乗車したが、終点の大原駅まで向かわず途中の大多喜駅で下車する。その理由は、大多喜駅で鉄印と御城印を購入するため。
大多喜駅でキハ28が大原方面に去る瞬間を撮影していたところ、偶然に予想しない一枚も撮影。それがこちら。
それは、大原方面に向かうキハ28をホームの端で見送っていたスタッフの女性の後ろ姿。なぜだかわからないけれど、キハ28が見えなくなっても垂れ幕をじっと持ち続ける姿に心打たれてしまった・・・。今回の旅行で最も心動かされたのは、実はこの瞬間だったかもしれない。
3.小京都 大多喜からさらに東へ
さて、次の列車まで1時間ほどあるので、大多喜駅の向かいにある観光案内所で、お昼を食べつつ、お土産を購入する。私が購入したのは、大多喜城の御城印とクリアフォルダ。
※私が購入したのは、御城印とクリアフォルダ。ちなみに、駅近くにある大多喜城は補修工事中で営業休止中。
また、改札横の受付でいすみ鉄道の鉄印を購入して息子にプレゼントする。そして次の列車に乗って、再び大多喜駅からいすみ鉄道の終点となる大原駅に向かう。ここからJR外房線に乗り換えて急いで東京駅に向かう。
※大多喜駅で購入した鉄印。なかなかバラエティ豊か。
※大多喜駅からは菜の花をイメージするイエローの車両に乗車。
※いすみ鉄道終点の大原駅にて。これで房総半島の横断は無事に終了。
そして、東京駅の日本橋口で妻と娘と待ち合わせして、コインロッカーからキャリーケースを回収する。そのまま新幹線に飛び乗って無事に帰阪した私たち。
※この日最後に撮影した写真。無事に関東旅行が終了。あとは無事に自宅に帰るだけ。
4.おまけ
以前にこのブログでも取り上げたが、私は3年ほど前に東京出張した際、翌日が土曜日だったので、同じコースを一人で小湊鉄道といすみ鉄道に乗車したことがある。その時は、もう二度と訪れることはないと考えていたが、まさか息子と再訪するとは思わなかった。
最後に朝日新聞社から公開されているいすみ鉄道の全面展望の動画も貼り付けておこう。これこそが私と息子が眺めた光景そのもの。