企業法務担当者のビジネスキャリア術

氷河期世代の企業法務担当者がライフログとして日々の出来事を記録しています。2009年に開始したブログは17年目を迎えました。

【経験値MAX】資料テク、プレゼン、そして旅。下請法がくれた「三つのご褒美」とは?/下請法という“地雷原”が、私を成長させた話。

1.「下請法」という私の人生を変えた法律

昨年3月の記事で、日産自動車が下請法違反で公正取引委員会から勧告処分を受けたことを紹介した。
正直なところ、下請法は企業にとって「きちんと守っても一円の利益にもならない面倒な法律」である。完璧に遵守したからといって、売上や利益が増えるわけではない。公正取引委員会や中小企業庁が表彰してくれるわけでもない。しかし、もし違反すれば企業の信用を大きく揺るがしかねない。下請法とは、まるで「地味だけれど決して軽んじてはいけない地雷原」のような存在だ。特に大手企業であればあるほど、法務・購買・経理といった複数部署が総力を挙げて取り組まざるを得ない(今回の不祥事を受けて日産自動車もそうしたはず)。
 

 
その下請法が、来年1月から大幅に改正され「中小受託取引適正化法」としてリニューアルされることは、企業法務に関わる人であればご存じのはず。施行まであと4か月。様々な企業で準備を進めていることだろう。もちろん、私もその一人として、連日対応に追われている。
 
 
しかし、私の場合、「下請法」という言葉を聞くと、胸の奥がじんわりと熱くなるような、少しこそばゆいような不思議な気持ちになる。多くの人にとっては、堅苦しくて面倒な法律かもしれない。しかし、この法律は、一人の人間として、そしてビジネスパーソンとしての私を大きく成長させてくれた、かけがえのない存在でもある。
 

2.下請法が人生のターニングポイントに

前職での出来事。突然、自社に中小企業庁の下請法調査が入ることになった。担当者2名による2日間にわたる調査の結果、いくつかの下請法違反が指摘され(ただし、公取HPに公表されるほどではないレベル)、社内全体のコンプライアンス体制を立て直すという、大掛かりなミッションが勃発。そして、そのキーパーソンが何を隠そう、唯一の企業法務担当者である私であった。
 

 
 
手探り状態で、社内ルールの制定から着手し、一番苦労したのは「全社員への周知徹底」であった。私はモバイルPCを抱え、文字通り一人で全国の事業所を飛び回った。北は札幌から南は熊本まで、新幹線や飛行機に揺られ、初めて訪れる場所で、多くの社員を前に勉強会の講師を務めた。
 
慣れないアウェイの場で、大勢の人を前に話すのは、想像以上に大変であった。当初は緊張で声が震え、思うように話せなかったこともある。しかし、10回、20回と場数を踏むうちに、不思議と身体が慣れてくるものだ。今回のミッションを成功させるべく図書館で借りてきた以下のプレゼンやスピーチの本を読み漁り、文字通りトライ&エラーで知識を実践と失敗の中で自分の血肉に変えていった。
 

 

自分が作成する資料のデザイン(フォント・色・配置など)を読み手視点で意識するようになったのもこの頃から。同じ内容であっても、資料のデザイン一つで読み手の印象はガラリと変わってくる。この経験を通じて自分なりの法務研修スタイルがほぼ確立し、転職後の現在でも実践中。現職でも「Sabosanの作った資料は見やすくてわかりやすい」「いらすとやの使い方が絶妙」「プレゼンがわかりやすい。なんかえらく場慣れしている感がありますね」と言って頂けるのは、あの時、ひたすら試行錯誤を繰り返して経験値を積みまくった日々があったからこそ。今思えば、この時の集中的な経験値のおかげで、企業法務担当者である私は一段階も二段階もレベルアップすることができた。その後の転職活動でもそのあたりをPRしたもの。

 

kigyouhoumu.hatenadiary.com

 

 

3.下請法がくれた「ご褒美」

そして、もう一つ。下請法対応という仕事が私に思わぬご褒美をくれた。それは「出張先での小さな旅体験」だ。全国各地への出張は、私に大きな試練を与えると同時に、素晴らしいチャンスをくれた。前日や翌日の休日を利用し、各地の歴史スポットを巡ったのだ(妻には「ちゃんと仕事をしているの?」とよくからかわれたものだが、これも立派な人生勉強)。
 
例えば、盛岡城(岩手県)、鶴ケ城・二本松城(福島県)、掛川城(静岡県)、岡崎城(愛知県)、岩村城(岐阜県)、広島城(広島県)、岩国城(山口県)、佐賀城・唐津城・名護屋城(佐賀県)、福岡城・小倉城(福岡県)、中津城(大分県)、熊本城(熊本県)、鹿児島城(鹿児島県)・・・など数えきれないほどのお城や歴史博物館を訪れ、御城印を集めた。特に思い出深いのは、初めて九州各地を訪れたこと。

 

※当時は、この本でどのお城巡りをするか物色していた。

 
 
例えば、日曜日の朝一番の新幹線に乗って新大阪から博多に移動し、ホテルに荷物を預ける。そして、博多から電車とバスを乗り継いで、豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点だった名護屋城跡(佐賀県唐津市)を訪れた時の、歴史の重みを感じるあの静かな空気。また、福岡県柳川市の歴史資料館で「戦国末期の最強武将」の立花宗成が実際に着用した鎧兜(実物)を見たときの心震える瞬間。さらに、熊本ではJR阿蘇駅から自転車を借りて3時間かけて阿蘇山の草千里浜を目指したこと。誰も通らない車道を駆け上ってようやく到着したゴールでは、果てしなく続く広大な草原を目の前に、心が洗われるような感動を覚えたのは、今でも忘れられない思い出。
 
このように、それまで九州地方と全く無縁であった私にとって、これらの数々の体験は私の人生を非常に趣深いものにしてくれた。
 
あの時の私は、下請法という法律のプレッシャーに追われる日々の中で、仕事と全く関係のない世界に触れることで、心のバランスをとっていたのかもしれない。同時に歴史や旅を通して視野が広がり、一人の人間としての深みと重みが増していくのを感じたものだ。
 

4.法律はただのルールではなく人生を変化させる力を持っている

振り返れば、あの当時の私にとって下請法との格闘の日々は、決して楽なものではなかった。しかし、これらの経験は私を数段階上のビジネスパーソンに引き上げ、人としての幅を広げてもくれた。あれからかなりの時が流れて、現職に転職してプレイングマネジャーに従事している私だが、今でも「下請法」というキーワードを耳にすると、胸の奥には少しのほろ苦さと共に、あの大変だった日々や各地で見た美しい景色やお城の情景が脳裏に蘇る・・・。
 

 
私にとって下請法は、ある意味で「恩人」のような存在かもしれない(あと、中小企業庁には、よくぞあのタイミングで前職企業に立入検査をしてくれたと個人的にお礼を言いたいぐらい)。今回の改正でその名称が変わってしまうことに、一抹のさびしさを覚える。しかしそれでも、私は企業法務のプロフェッショナルとして、これからも全力でこの法律に向き合っていきたい。