企業法務担当者のビジネスキャリア術

東証一部上場企業に勤務する企業法務担当者がライフログの一環として日々の出来事を記録しています。

【社会・経済】正月に見かけたとある光景/現代教育論に対する自分なりの一考察です

1.塾>学校 少し以前の話になるが、1月3日に地元の駅ビル付近に出かけたときの事。そのビルには学習塾やオフィスがいくつか入居しているのだが、そこで珍しい光景を見かけた。というのは、そのビルに小学生の一団が続々と吸い込まれていくのだ。中には親の運転する車で連れて来られる子供もいる。一体何事と思って、そのビルを覗いてみると、子供達が向かう先は2Fに入居している塾のようである。ハチマキを締めた講師らしき人物があいさつしている。どうやら正月早々に冬季講習でも行っているようだ。 帰宅してから妻にこの出来事を話したのだが、もはやいまどきの小学生は塾に通うことが当たり前で、行っていない子の方が少数派らしい。 調査データクリップ!子どもと教育 - ベネッセ教育総合研究所

公立中学生の7割強、私立でも5割超が塾に通っている! [学費・教育費] All About

2.偏差値と仕事力の関係 かくいう私自身といえば、塾や予備校というものに全くお世話にならなかった。ただ、大学受験を意識した高校2年ぐらいからは、旺文社のラジオ講座(ラ講)や予備校が発刊している市販の参考書を利用して、自分なりの勉強計画を立案して、自宅でコツコツと勉強していた。(当時のラ講の講座を担当していた出口注氏や樋口裕一氏が現在も現役で、ビジネス書まで出版しているのをみると、なにやらうれしくなるが)それでもそれなりの成績を維持することができ、そこそこのランクの大学に現役合格することができたので、自分のやり方としては間違っていなかったと思っている。 それだけに今どきの小学生が正月早々から塾に通いつめているという事実に大変驚いている。私が小学生の頃は、塾に通っていた子は、クラスのせいぜい1~2割程度と記憶しているが、現在の状況がそうであるのは、いわゆる「ゆとり教育」が起因しているのかもしれない。というのも知人に聞くところによると、私が子供の頃に比べて、授業内容の低レベル化、学級崩壊など様々な弊害が発生しているらしい。と言っても、塾に行けば、当人の将来が絶対に安心かというとそれはまた別の次元の話。 というのも、現代の受験勉強というものは、少なからず一種の暗記ゲームという側面があり、課題の意義や目的などを深く考えることなく、効率良くインプットを行い、本番試験時にアウトプットを行うことが求められる。そのスキルにいくら習熟したからといって、「人間力」そのものも同時に向上するわけではない。 私も自分なりの戦略で受験勉強を進めていたものの、「自分がなぜ勉強するのか」ということは深く考えたことはなかった。学校や親が「受験勉強」というルートを用意してくれたので、それに素直に取り組んだだけである。悲しいかな、勉強をする目的・意義、その知識を将来どのように役立てるかということを教えてくれる教師は一人もいなかった記憶している。そもそも、受験勉強の最終目的は、「良い学校に入り、良い会社に入り、成功した人生を送ること」という暗黙のルールがある。 しかし、研究職などの一部の例外を除いて、偏差値の高さが仕事力に直結するわけではないことは、大部分のビジネスパーソンならばすでにお気づきのことであろう。つまり、「ビジネスパーソンの仕事力」と「学生時代の偏差値」とは決して比例するものではない。私の場合、周囲を見渡しても、出世コースに乗っている人が必ずしも偏差値の高い大学の出身というわけでもなく、その逆もしかりだ。一人の職業人としての能力の高さは、もっと別のもの、例えば、行動力・コミュニケーション能力などの「人間力」そのものの高さに左右されるような気がする。 出世のカギは「コミュ力」と「要領の良さ」。社会人が思う、将来出世しそうな人の特徴(マイナビスチューデント) - goo ニュース

そういえば、2006年あたりから経済産業省は、新人社会人には「主体性」「実行力」「計画力」「創造力」などの基礎能力が求められる、と公表している。逆にいうと、国家機関がこれまで新人社会人に求めら能力の定義化を行っていなかった裏返しであろう。もちろん、これらのスキルが受験勉強では養われないことは自明の理である。 社会人基礎力(METI/経済産業省)

偶然ではあるが、先日本宮ひろ志の「サラリーマン金太郎」の全巻無料というiPhoneアプリで、なかなか興味深いエピソードが取り上げられていた。 それは、「学生時代の頭の良さ」と「社会人の頭の良さ」は全くの別物というもの。主人公である金太郎が新規プロジェクトを実現するべく、とあるキーパーソンに接触するのだが、その娘が金太郎のやる気を評価すると共に、今時のサラリーマンを「上の命令を聞いてれば給料がもらえると危機意識が全くない」とこき下ろした上、学生と社会人の相違点についてこう語るのだ。
「学生時代の頭の良さは吸収する頭の良さ、つまり覚えることが求められる」 「一方、社会人になったら正反対で出す頭、つまり行動すること、真っ白から何かを生み出す制作能力こそが大事」
これは作者が自分の考えを登場人物をして言わしめているのだろうが、私も全く同感だ。これが1960年から1970年代にかけての高度成長期のような、いわゆる「成長社会」であれば、「言われたことをやる」人材であっても、それなりに成功した人生を送ることができた。企業もそのような「言われたことをやる」人材を必要としており、学校教育もおおむねそれに準拠していた。しかし、モノが世の中に満ちあふれて、グローバル化やIT化が急速に進み、人口も減少していくような「成熟社会」であれば、もはやそのやり方では安定した人生を送ることはできない。 3.まとめ だからこそ、現代の教育機関はこれからの日本を背負っていく自立型人材を社会に輩出する責任を負っていると思うのだが・・・。例えば、学校教育の中に、キャリア教育を取り入れていくことはできないものだろうか。例えば、世の中にはどのような職業があって、その特徴や収入などを教える授業があっても良いと思う。そのような「生の知識」の方が子供達によっぽどプラスになると思う。 もっとも、子供の教育を全て学校任せにするのおかしな事で、親である私もこれを担う必要があるのだろう。具体的にはどうするべきかは思いつかないが、自分が子供の頃を思い返しながら、わが子と向き合う必要があると考えている。このブログも将来自分の子供が読むことを想定しており、「この時期に自分の親がどのようなことを考えていたか」というように、親を客観的に見つめ直す材料にしてもらえれば、と考えている。
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高濱 正伸

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