1.城下町の名残をとどめる高槻
先日とある所用があって、息子と二人で大阪府高槻市を訪れた。その所用が片付いたので、2~3時間ほど市内を散策することに。かつて高槻市には法務局があり(現在は茨木市にある大阪地方法務局 北大阪支局に統合済み)、私は20代の頃に司法書士事務所に勤務していた関係で、何度かこのあたりを訪れたことがある。
さて、高槻市を代表する歴史上の有名人といえば、ズバリこの人。
【高槻市】クローズアップNOW「没後400年 高山右近をひも解く」
キリシタン大名である高山右近で、戦国時代に織田信長や豊臣秀吉とも接点を有している。この高山右近を足跡をたどる施設が阪急高槻市駅の南側に位置する「高槻市立しろあと歴史館」と「高槻城跡公園」。
まず、高槻市立しろあと歴史館だが、こちらは無料で入ることができる歴史博物館で、高槻の歴史を今も伝える遺物が数多く展示されている。館内は暗く落ち着いた雰囲気で、展示品は城下町の地図・鎧兜・槍と刀など様々だ。館内には親切なボランティアさんがいて、私たちに気さくに声をかけて展示品についての解説を行ってくれた。ボランティアさんによると、この辺り一帯はかつて高槻城の城下町で、碁盤の目のように美しく整備されていたという。
2.右近の銅像が立つ高槻城跡公園
その後、すぐ南側に位置する高槻城跡公園を散策する。園内には、高山右近の銅像や庭園があり、当時の名残をしのぶことができる。
ちなみに、高山右近という戦国大名は以下のとおり異色の経歴の持ち主だ。
- 右近はもともと地元の国人領主で、紆余曲折を経て織田信長が近畿圏を支配した後、阪神一帯の支配を任された荒木村重(伊丹城主)の与力となる。
- 村重が信長に反乱を起こした際には、当初は従うが、最終的には信長に帰順して許される。
- 豊臣政権の時代になると、それに従い本領を安堵される。しかし、最終的には秀吉のバテレン追放令を受けて、大名の地位を捨て信仰を選ぶ。
- その後は、加賀の前田家の客将として過ごすが、徳川幕府の成立後、フィリピンに追放処分となり、到着後すぐに客死する。
このように、地位ではなく信仰を選んだという戦国時代には珍しいタイプの大名だったようだ。
私がときどき遊んでいるシミュレーションゲーム「信長の野望」にも高山右近は登場するが、能力値はそこそこで、水準よりそこそこ上の武将とされている。
今回の高槻訪問でキリシタン大名 高山右近の生前の足跡にほんの少し触れたわけだが、機会があれば、右近を題材にした小説でも読んでみようと思う。