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【歴史】Sabosanの唐津漫遊記 その2(名護屋城編)/天下人 豊臣秀吉が生前に最後に築いた巨城

前回の続きを。

 

1.名護屋城博物館

唐津市内にあるバスセンターからバスを乗り継いで40分ほどで、玄界灘に面した波戸岬に到着する。そして、バス停から降りて少し歩くと、佐賀県立名護屋城博物館に到着。 

この博物館では、文禄・慶長の役を含む日本と朝鮮との歴史について展示紹介されている。私が少し驚いたのが無料で入館できるということ。比較的新しい博物館だし、入館料は1000円ぐらいかな、と思っていたので、予想外の太っ腹に驚いた。館内は2階部分が展示スペースとなっており、当時の面影を伝える様々な歴史遺物が展示されていた。 


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2.戦国時代の名将たちが一同に集結

博物館を1時間ほどで見終わって、北側の名護屋城跡を散策する。名護屋城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の国内拠点として築城したもので、当時の広さは17万平方mにも及び、大阪城に次ぐ広さを誇ったという。その周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集ったとされている。名護屋城の石垣の一部は当時の状態で保存されており、国から特別史跡に指定されるなど大変貴重な遺産。 

うっそうとした木々を抜けると、本丸に到着する。そこから一気に視界が開き、玄界灘が眼下に広がり、見晴らしは抜群。現在、この付近には民家や学校などが立ち並んでいるが、当時は、この辺りに徳川家康・伊達政宗・前田利家・上杉景勝・真田昌幸・藤堂高虎・島津義弘・黒田長政など当時を代表する名将たちの陣屋が集結していたわけで、歴史ファンにはなんともたまらない。 

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ただし、歴史を客観的に検証すれば、文禄・慶長の役は、日本が何の非もない朝鮮に対して行った侵略戦争に他ならない。今私が立っている場所からはのんびりした光景が広がり、想像もつかないが、かつてはここから侵略戦争の船団が列を並べて、朝鮮に向けて出港していたわけだ。

関ケ原の戦いの後、天下人となった徳川家康によって名護屋城は、徹底的に破壊されて、今はその残骸しか残されていない。ある意味、この名護屋城跡は、「天下人の愚行」を後世に伝える負の遺産と言えるかもしれない。

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