企業法務担当者のビジネスキャリア術

東証一部上場企業に勤務する企業法務担当者がライフログの一環として日々の出来事を記録しています。

【旅行】Sabosanの北近畿漫遊記 その1(亀岡・西舞鶴編)/懐かしい法務局の跡地を訪れる

かなり以前の話だが、昨年9月頃に青春18きっぷを使って京都府舞鶴市を一人旅したことがあった。ブログに書くのをすっかり忘れていたので、今更ながら書き記しておきたい。

 

1.かつて訪れた法務局が廃墟に

当日は、朝早く自宅を出発して、JR東海道本線で大阪から京都に移動する。京都で山陰線に乗り換えて、舞鶴方面に向かったが、途中の亀岡駅で下車して散策する。実は20代の頃、当時の仕事の関係で京都地方法務局 亀岡出張所をよく訪れていたので、懐かしく思い、久しぶりに覗いてみることに。

 

法務局は駅から西の市役所方面に歩いて15分ほどで到着するが、なんとすでに法務局は閉鎖されていた。看板を確認すると近所の京都地方法務局 園部出張所と統合されてしまった様子。司法書士や土地家屋調査士などの業界関係者にとってはもはや常識だが、この10~15年間で登記情報提供のオンライン化により法務局の整理統合が進んでいる。従って、昔に比べて法務局の数は減少しているのだ。まあ、人口減少が進んだ結果、年々登記申請件数が減っており、法務局の「リストラ」はあながち間違っていないが・・・。

 

亀岡駅前.jpgIMG_1023.JPG法務局.jpg

 

しばし、たたずんでから駅に戻ることにしたが、少し南へ回り道をする。この近辺には、明智光秀の居城である丹波亀山城跡があるのだ。歴史でも名高い「本能寺の変」はここから明智勢が本能寺を目指して出発したことから幕を上げた。いわば歴史の転換点ともいえる場所。

 

丹波亀山城.jpgIMG_1027.JPG

 

2.城下町の雰囲気が残る西舞鶴

さて、亀岡駅に戻って、再びJRに乗車すると、1時間ほどでJR西舞鶴駅に到着する。駅から北に10分ほど歩くと見えてくるのが田辺城跡。

 

 

戦国時代の末期には、織田信長の家臣であった細川藤孝・忠興親子が居城を構えていた。本能寺の変の発生当時、明智光秀の与力であったが、光秀に与することなく豊臣政権下でも生き残る。その後、「関ヶ原の戦い」では細川家は東軍について、その前哨戦では田辺城は西軍15000の兵に包囲されたという。息子の忠興は徳川家康に従って、「関ヶ原の戦い」に参陣していたため、城兵はわずか500名に過ぎず、落城寸前まで陥ったが、文化人で著名な藤孝の命を惜しんだ天皇から和睦の仲介により無血開城に至ったエピソードが残されている。しかし、本来ならば、関ヶ原に参陣するべき西軍15000の兵を釘付けにしたことは功績大と家康に評価されて、細川家は九州の小倉50万石に大幅加増されている。

 

  現在の田辺城は、城門の一部が復元されて、城の跡地は、公園として活用されている。城門の内部は資料館として細川家の資料が無料で展示されている。

IMG_1034.JPGIMG_1035.JPGIMG_1044.JPG

 

それ以外には見るべき箇所がなかったので、JRで東舞鶴に向かう。続きは次回に。

 

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