1.「夢は9割叶わない」
5月頃にダイヤモンド社のHPにおいてなかなか興味深いコラムが短期集中連載されており、私も読んでいた。
執筆者は、「課長島耕作」「黄昏流星群」などで有名な弘兼憲史氏だが、どうやらダイヤモンド社から発売される同一書名の新刊ビジネス書のPRも兼ねているようだ。このコラムの1回目のタイトルは「夢は9割叶わない。」となかなかシビアなものとなっている。その内容を要約すると、以下のとおり。
・ほとんどの人は、小さい頃に「自分はこうなりたい」と自分なりの夢を思い描くもの。しかし、それがかなうのは極めて少数で、ほとんどの人にとって、夢は夢で終わる。
・著者の知り合いに東京芸術大学の油絵科へに入学するべく、何回不合格となっても受け続けている30歳の人物がいるが、現在の消息は不明。
・大事なのは、自分の夢を人生の各ステージに応じて、その都度修正しつつ、実現可能な目標に切り替えていくこと。初志貫徹にこだわるのではなく、むしろ朝令暮改ぐらいで丁度いい。
・夢をもつのは大変素晴らしいことだが、夢には「期限」を設けるべき。期限を設けないまま、ずるずると夢に取り組むと、人生を棒にふることになりかねない。
・夢の実現のための期限を設定したら、そこまでは迷うことなく、必死でがんばる。しかし、期限までに夢を達成できなかったのなら、潔く諦める。そんな戦略と見極めが、人生には必要である。
「なるほど、うまいこと言うなあ」と思う。これがもし、20歳代の私ならば、反発をおぼえたかもしれない。しかし、社会人経験もそれなりに豊富で、かつ世間的に良い年齢で、今や結婚して妻と子供がいる現在の私にとっては、「全く同感」の一言。なぜなら、私自身も過去に「夢」に区切りをつけたことがあったからだ。
2.過去の自分を振り返って
本ブログでこれまで何回か触れているが、私は、20歳代の頃に某法律系難関資格試験に働きながらチャレンジしていた事があった。しかし、何年一生懸命勉強して受験に挑戦しても合格せず、さらにはその業界の中身が徐々にわかってきたので、いつしかやる気を失って、その試験から「撤退」した経歴がある。
その後の紆余曲折を経て、現在は、企業法務系ビジネスパーソンとして、キャリアを積み重ねる日々を送っている。つまり、弘兼氏の主張どおり自分の夢を諦めて別の道に転進したわけ。あれから長年の月日が流れて現在の我が身を振り返ってみると、「あのときの自分の判断は正しかった」と思う。というのも、企業法務担当者は、受験生時代に習得した法律知識をベースとして仕事をすることができ、その成果によって、クライアントから感謝されることも多く、自分の存在意義というか、天職感を感じることがあるからだ。また、収入面も決して悪くない。
また、企業において様々な人との新しい出会いや未知の仕事に取り組む機会もあり、自分がビジネスパーソンとして、より良く成長する機会にも恵まれている。むしろ、受験生時代に味わった挫折感や忍耐強さが結果として人間力の向上をうながすことになり、良い影響を及ぼしてくれたような気がする。そして、それは企業法務担当者に求められる社内外との人間関係構築能力にもおおいにプラスになったと感じている。
今でも、弘兼氏の知人が東京芸大にチャレンジし続けたように、もし、あのまま受験勉強を継続していたら、どうしていただろうか。もちろん合格していたかもしれないし、そうでないかもしれない。 この弘兼氏の「夢に期限を設けよ。それまで精一杯頑張っても夢が実現できない場合は、縁がなかったとあきらめて別の道に転進せよ」という考えは、様々な難関資格試験にあてはまるような気がする。
ご存知のとおり、これらの試験は難関国家資格であり、残念ではあるが、長年勉強しても合格できない人は必ず存在する。「その状況」に陥った時点で、本人がどのような決断を下すかが、当人の今後の人生を大きく左右することになるだろう。
「夢」を持つことは大変素晴らしいことだ。なにより私たちは子供の頃からそのように教育を受けていた。しかし、さすがに世の中の全員が自らの夢を実現できるほど世間というものはそう甘くはない。これは年齢を重ねるにつれておのずと実感させられる。