企業法務担当者のビジネスキャリア術

氷河期世代の企業法務担当者がライフログとして日々の出来事を記録しています。2009年に開始したブログは17年目を迎えました。

【懐かしのバイト遍歴】先輩を殴って、クビになって、学んだこと。 ~「フロムA」世代のアルバイト回顧録〜

今週のお題「こんなバイトをしてました」

 

1.こんなバイトをしてました — 若き日の断片たち

はてなブログの今週のお題は、「こんなバイトをしてました」。
 
 
懐かしさに誘われて、学生時代の記憶を少し掘り起こしてみる。私が大学に通っていた当時は、まだインターネットが今ほど身近ではなかった時代。アルバイトを探すのも「フロムA」などの求人誌や、大学構内の掲示板が主な情報源だった。特に後者の場合、履歴書が不要なので、よく休み時間にチェックしたもの。紙のチラシを手に、電話ボックスから問い合わせをしていたあの頃が、今となっては妙に愛おしい。そんな時代に、私は4年間でいくつものアルバイトを渡り歩いた。これらは今にして思えば、どれも社会に出る前の「小さな予行演習」だったのかもしれない。
 
①試験監督の受付
模擬試験の試験監督官。問題用紙を配布して、回収するという内容。試験時間中は何をしても自由だったので、文庫本を読んでいたと思う(当時はゆるかったが、今は難しいかも)。
 
②近鉄布施駅の交通カウント
近鉄布施駅前のロータリーの工事計画に伴う事前調査で、歩行者や自転車、自動車の通行をカウンターで数えるというもの。性別や年代別にカウントするなど、意外と細かい分類が求められた。真夏の照り返しの中、黙々と数を数えていた記憶がある。「学生の頃の時間」というものは、こうした単調ささえも、いま振り返ると妙に懐かしい。あのとき数えた人の流れは、きっと今もどこかで続いているのだろう。
 
③甲子園球場の案内スタッフ
大学掲示板で見つけた人気のアルバイト。甲子園のスタンドで観客を誘導したり、席を案内したりする仕事だ。日程を自由に選べるのが魅力で、3〜4回ほど入った。あの独特の熱気、土と汗の匂い、夕暮れに照らされたアルプススタンドのざわめき──いま思い出しても胸がざわつく。──ただひとつ、苦い思い出もある。先輩アルバイトと口論になり、えらそうな物言いになってカチンときて、こちらからグーで殴ってしまった(汗)。当然私はクビとなり、出禁になってしまった。大学にもクレームが届き、さすがに「あちゃ~、やっちまったなあ」と反省。
 
でも今となっては、それも含めて「若気の至り」という言葉で片づけられる。そんな短気な私も現在は、法務部門のプレイングマネジャーを務めているのだから人生とはつくづく面白い。
 

※こんな感じで右ストレートが見事に炸裂。
 
④司法書士事務所の補助者 ~キャリアの原点~
大学3年のころ、大阪市内の司法書士事務所で補助者として勤務した。銀行や役所を回って書類を受け取る仕事で、移動時間は自由。当時LECで司法書士試験の勉強をしていた私には、まさに実地の学びの場だった。大学4年生の頃に、所長から「うちに就職しないか」と声をかけられ、就職活動をせずに卒業後そのまま入所。その後、司法書士の道は断念することになったが、実務を通じて“社会のリアル”を早い段階で知ったのは大きな財産だった。ちなみにこの事務所は現在は廃業している。あのときの同僚先輩は、今どこで何をしているのだろう。

2.数十年の時を経て、今思うこと

こうして振り返ってみると、試験監督、交通調査、甲子園の案内、そして司法書士事務所──。 どの仕事も、当時はただひたすら「お金のため」だった。けれど、無関係に見えた点と点とが、いつの間にか線となり、今の私を形作っていることに気づかされる。ただ、不思議と、華やかな飲食店などのサービス業には気後れして、一度も足を踏み入れなかった。それもまた、不器用なりの、自分なりの選択だったのだろう。
 
アルバイトというささやかな窓から社会の空気に触れ、様々な人と出会い、時に痛い失敗をしながら、「働く」とはどういうことかを、少しずつ体で覚えていった4年間。大学時代のアルバイトは、過ぎ去った日々のノスタルジーであると同時に、その後の私の生き方や世界を見る眼差しの“原点”となったのは間違いない。