1.麻雀物語
先日、私の妻が近所のコンビニで以下の漫画を購入してきたので、私も通読してみた。
藤子不二雄Aブラックユーモア傑作選 マグリットの石 (中公コミックスーリ)
- 作者: 藤子不二雄A
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/04/25
- メディア: コミック
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今月のGWにレンタルショップで漫画本を大量に借りてきたことは先日の記事でご紹介したとおり。
本記事で紹介した「まんが道」は「漫画家になりたい!」という青雲の志を胸に秘めた青年達の物語だが、その爽やかな青年達(?)がこのような「救いがない話」を描いていたとは複雑な心境。本作は藤子不二雄のブラックユーモア短編集をまとめたもので、「笑ゥせぇるすまん」「夢魔子」などの作品が収録されている(昔、両作品が「ギミア・ぶれいく」という番組内で放映されていたのはなんとも懐かしい話)。
本作を読んでいて、「おや?」と思ったのが、多くの作品で賭け麻雀をしているシーンが目立っていた点。これは作者の趣味がおおいに反映されたものと推測するが、私は麻雀というものをやったこともなく、このあたりは読んでいてサッパリである。「リーチ」「裏ドラ」「倍満」というセリフがあっても、「なんのこっちゃ」状態・・・。もちろん、これらの作品の主人公は、いずれも悪友にカモにされて有り金をむしり取られるという設定である。
2.ギャンブルとは無縁の人生?
私の場合、別に麻雀に限らず、ギャンブルというものが大嫌いで、全く無縁の人生を送っている。お金をかけるゲームの勝ち負けを不確実性に全てゆだねるという仕組みが生理的に合わない。大学生時代に友人に誘われてパチンコを1、2回やったことはあるが、全く面白くなかったので、それっきりパチンコとはご無沙汰(パチンコ店でトイレを借りたことは何度かあるが)。競馬、競輪、競艇なども同じく。 私が思うに、ギャンブルで確実に勝つことができるのは、ギャンブルの胴元自体かイカサマをやっている人間のみであろう。「大半の一般ユーザーはカモにされるだけ」とかなり冷めた考えをしている。
3.人生こそが大博打
いや、強いて言えば、私が現在進行形で経験しているギャンブルがたった一つだけある。それは自分の人生そのもの。現在の私は、それなりの年齢になり、それなりの企業法務系ビジネスパーソンとなり、それなりの家庭を構えて、それなりに人生の機微や世の中の仕組みというものがわかるようになってきた。そして、最近お世話になった人の訃報を立て続けに耳にして、人生の意味についてふと考えることがある。
思うに、これだけ不確実性が強い時代では、人の一生そのものがギャンブルのようなものではないだろうか。 なぜなら、人間の一生は、生まれ育った場所や家庭環境、教育と学習、努力と鍛錬、決断と行動、人脈と交友関係、収入と財産、運と縁、出会いと別れ、就職と転職、恋愛と結婚、育児と介護など様々な要因によって大きく変化していく。元首相が語ったように、まさしく「人生いろいろ」。
まして、不確実性が極めて強くなっている現代日本は、人の人生はちょっとした出来事や選択によって大きく勝ち組や負け組に分岐する非常にシビアな時代でもある。私の周囲を見渡すと、それなりに順調な人生を送っている者、不遇をかこっている者など千差万別だ。これこそが「人生はギャンブル」を体現化しているあらわれではないか。もっとも、パチンコと比べると、こちらの方がまだしも本人の能力や努力が反映される余地があると考えたいが・・・。