企業法務担当者のビジネスキャリア術

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【ゲーム】全てのファンタジーRPGの原点は「ダンジョンズ&ドラゴンズ」にある!?/海外ドラマ「ストレンジャー・シングス」のキーファクター

1.海外ドラマに往年の名作ゲームが登場

ある日の出来事。
 
私が会社から帰宅して一服していると、妻から「『ダンジョンズ&ドラゴンズ』ってボードゲームを知っている?」という質問を受けたので、驚いた。知っているどころか、なにを隠そう学生時代はバリバリ(?)の現役プレイヤーだったから。当時は、よく自宅や友人の家に集まってテーブルトークRPG(ダンジョンズ&ドラゴンズ、ソードワールドRPG、ロードス島戦記RPG)をプレイしていたものだ。今となっては我が青春時代の一コマと言えばいいのだろうか。
そもそもなぜそんな事を聞いてくるのか。疑問に感じて妻に聞いてみたところ、どうやらNetflixで放映されているSFミステリードラマ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」に主人公達が「ダンジョンズ&ドラゴンズ」をプレイしているシーンが頻繁に登場するとか。
 
スクールカーストの下位に位置する主人公達は、自宅の地下室で「ダンジョンズ&ドラゴンズ」を楽しんだり、学校生活を送っていた。ところが、ある日不可解な出来事に遭遇し、未知のモンスターと対峙する・・・(というストーリーらしい)。
 
そこで、元ベテランプレイヤー(?)である私から、妻に「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の何たるかについて、以下のとおりレクチャーすることに。
 
私「いわゆる剣と魔法のファンタジー世界を舞台としたアナログ的なごっこ遊びで、ダンジョンマスター(DM)がゲームの語り手をするだけではなく、敵やNPCのキャラクターを演じるんだよ。プレイヤーは戦士・盗賊・僧侶・魔法使いなどのクラスを選んで、能力値はサイコロでランダムに決める。敵との戦闘や運だめしもサイコロを使う。DMは事前にストーリーやダンジョンの構成やモンスターの配置を決めておく。モンスターの能力は、ルールブックに決まっており、戦闘になると、プレイヤーとDMはサイコロを振り合って、勝敗を決める。基本的にDMの用意したシナリオどおりに進めるのが理想的で、最終ミッション(ラスボスの撃破・アイテムの回収・目的地の到着等)をクリアすれば、そのゲームは終了する。ただ、同じDMとプレイヤーで複数回のゲームを連続でプレイするいわゆるキャンペーン形式で行うことも多い(コンプティークで連載された当時のロードス島戦記がそう)。要するに、ドラクエやFFなどのコンピューターRPGは、コンピューター(運営側)と人間(プレイヤー)という位置づけにある一方、人間同士がワイワイガヤガヤしながら、時にはアドリブを交えて楽しむ。これがテーブルトークRPGの面白いところかな。だからボードゲームとは少し違うんだよ。わかったかい?(ふう、これだから素人は困るんだよね)」
妻「う~ん、わかったような、わからんような・・・。」
 

2.D&Dは全てのファンタジーRPGに通じる道!?

実際のところ、「ストレンジャー・シングス」をきっかけに「ダンジョンズ&ドラゴンズ」が再び注目を浴びているらしい。それはそれで大変すばらしいことだ。コンピュータ・ゲーム全盛期の現代だが、これもよい体験になるだろう。
 
かなり乱暴な言い方をさせてもらうと、現在のあらゆるファンタジーRPGの原点は、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」にあると言いたい。例えば、1980年代に大ヒットしたファンタジー小説の「ドラゴンランス」や「ロードス島戦記」(特にコンプティークに連載されていた当時のⅠとⅡ)は元来は「ダンジョンズ&ドラゴンズ」をベースに誕生したもの。これを知る人は相当玄人のはず。
また、同じく80年代に大流行した東京創元社や社会思想社のゲームブックは、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のようなテーブルトークRPGを一人でもプレイできるようにするという発想から生まれた。
さらに、今年の2月に発売され、全世界で総売上1300万本を記録した大ヒットゲーム「ELDEN RING」のプロデューサー宮崎氏は、過去のインタビューにおいてダークファンタジーの原体験はゲームブックの「ソーサリー!」シリーズと発言している。
 
こうなると、全てのファンタジーRPGは、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」に通じる、と言っても過言ではないことがお分かりのはず。
 
もっとも、さすがにいい年になった私が学生時代のように「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のようなテーブルトークRPGをプレイすることはない。ただし、ファンタジーRPGへの興味や憧憬はいくつになっても忘れ難く、あの当時の子供心を忘れないためにも、できる範囲で様々な作品に触れるようにしている。

3.まとめ

しかし、数十年前にプレイしたアナログゲームについて、妻にウンチクをたれて、解説する機会があろうとは、子供時代の私には全く想像もつかなかったから不思議(まあ、当たり前だけど)。しかし、考えてみれば、人間の人生も、「時には運(ダイス)に翻弄されながらも、学校や会社というステージ(ダンジョン)のクリアを目指して自分の役割を最後まで演じきる」という側面があるような気がする。
 
とすると、人生もテーブルトークRPGも一人のプレイヤーとして参加していることに変わりなく、両者は根本的に似ているのかもしれない。